大潮と桜前線《ソラノミダイアリー ホーボージュンのほろ酔い放浪記⑦》

今日も日本と世界のどこかで「空飲み」。アウトドアライターのホーボージュンが綴る酒と放浪の日々。いつもの年よりずっと早く咲いて散っていった今年の桜を、筆者はどこで見ていたのか。

ライター:HOBOJUNHOBOJUN
メインビジュアル:大潮と桜前線《ソラノミダイアリー ホーボージュンのほろ酔い放浪記⑦》

SUPに乗って花見へ行った

「明日は晴れそうだけど、南西風5メートルの予報が出てるな」

「じゃあ海回りはあきらめて、河口から遡ることにしようか」

「うん。でも大潮だから、満潮の時間帯を狙わないとまずいかもね」

「満潮が5時10分で干潮が11時17分だから遅くても7時前には出よう」

 僕らは天気予報と潮汐表を睨みながらこの週末の計画を練っていた。でも魚釣りの相談をしているワケじゃない。「お花見」の相談をしていたのだ。

 僕の住む湘南エリアでは今年は4月の第1週に早くもソメイヨシノが満開となった。月下旬に暖かい日が続いたため例年より開花が早く、一気に咲き揃ったのだ。しかしそのぶん見頃は短く、散り始めるのも早そうだ。そこで僕は急きょ近所の友人を誘って花見計画を立てたのである。

 といってもブルーシートを用意したり、早朝から場所取りをする必要はなかった。なぜなら僕らの花見は水の上。SUPで近所の川を遡りながら、川沿いの桜見物をしようというのである。

 僕らが狙っているソメイヨシノは河口から2kmほど遡った場所にあった。クルマの入れない路地に植わった古い株で、枝が大きく川に張り出して枝垂れている。ここまでSUPで遡上することができれば、ちょうど目の高さぐらいで花が楽しめるはずだった。

 しかし問題は日照り続きで川の水量が少ないこと。加えてこの川は河口の潮汐の影響を受けやすく、大潮の干潮時には水位が急激に低下して身動きが取れなってしまうのだ。そこで僕らはこんなふうに入念に打ち合わせをしていたのである。

 そして翌日の午前7時。ウェットスーツに身を包んだ僕らは河口にSUPを降ろし、まだまだ冷たい川の水に身体を浮かべた。するとちょうどその時、海から3艇のシーカヤックが遡上してくるのが見えた。よく見るとそれは地元のシーカヤッククラブの仲間たちだった。

「おはよう!ジュンさんもこれから花見?」

「そう。今年はSUPで行こうと思ってさ」

「春の大潮だから、もたもたしてると上れなくなるよ」

「そうだよね。急ごう!」

 さすがはベテランカヤッカーたちだ。ちゃんと潮汐を読んでいる。そんな彼らの背中を追うように僕らもさっそく遡上を始めた。普段は海ばかり漕いでいるからこうして川を漕ぐのは新鮮だった。この川は住宅街の中を縫うように流れていて、ワイルドさは皆無だ。しかしそれでも水中には巨大な鯉が泳いでいたり、モクズガニが這っていたり、それをアオサギがつついていたりする。去年の夏にこの川を遡上したときは下水管の中から鮮やかなカワセミが飛び出してきてびっくりしたことがある。どんな場所にも自然は息づいている。SUPやカヤックに乗って水面を漂っているとそれに気づく。

 川を遡るにつれて水深は次第に浅くなり、僕は外へ外へとSUPを誘導した。カヌーや釣りをする人は知っていると思うが、川の曲がり角は外側のほうが深くなっている。川の流れは曲がるときに遠心力で外へ外へと動くので、外側がえぐれ、反対に内側には砂や泥などが堆積して浅くなるのだ。だから蛇行した川はアウト・トウ・アウトでライン取りをすればいい。それはこんな小さな川でも同じで、ちょっとラインを変えただけで数十センチも深さが変わる。僕らは川の流れを見極めながら右へ左へとSUPを動かし遡上を続けた。
SUPに乗って花見へ行った

自らの命を楽しむように桜は咲いた

そんなふうに川を漕ぎ上がりながら、僕はここから100km以上離れた三宅島の桜のことを思い出していた。

 もう20年近く前になるが、僕は伊豆七島の三宅島にしばらくいたことがある。当時僕は仲間と野宿をしながら山の中にツリーハウスを作っていたのだ。

 ある春のことだ。僕らの野営地にある桜の木に花が咲いた。前の晩にはまだ硬かった蕾がが朝テントから顔を出すとパンパンに膨らんでいた。

 この日はとくにすることもなく、ビールを飲みながら桜を眺めて過ごした。そして暖かな春の陽気に誘われて淡いピングの蕾が次々に開いていく姿をゆっくりと観察した。南向きの枝先の蕾からファッ、ファッ、ファッと弾けるように開いていく様子は僕にはとても新鮮だった。

 桜は誰にも見られることなく、静かにひっそりと咲いていた。メジロが花の蜜を吸い、毛虫が幹を伝っていた。ときおり海からの風が枝を揺らし、花は柔らかな流線となって世界を揺らした。

 誰もいない。

 野に人影はなく、空には雲ひとつない。

 それでも桜は咲いていた。

 両手を広げて謳うように。風に向かってしゃべるように。

 桜は自らの命を楽しんでいるように僕には見えた。

 きっといまこの瞬間、隣の御蔵島でも同じように桜が咲いているんだろうなと僕は思った。いや御蔵島だけではない。神津島でも、新島でも、大島でも、そしてその先の東京湾でも、そのまたさきの関東平野でも。誰に言われたわけでも、誰に指揮されたわけでもないのに、海を越え、山を越えて一斉に咲く。誰もいない山の中で、誰もいない谷の奥で、誰もいない河原で、誰もいな湖のほとりで。

 この当たり前の事実が、僕には衝撃だった。

 そしてこれ以来、僕は春になるたびに日本列島を駆け抜ける桜前線と「誰にも知られることなく、どこかで咲いている桜たち」のことを考えるようになったのだ。

「うわあ~! すげえ!」

 僕の前を漕いでいた友人が歓声を上げた。僕らがお目当てにしていた桜はいまがまさに満開だった。

「きれいだなあ」

 枝垂れた桜の中に顔を埋めながら友人が呻く。SUPで水面に立つとちょうど目の高さに桜の花があった。都会ではなかなか味わうことのないとても贅沢な花見になった。

「じゃあ、乾杯しようか」

 ゴソゴソとドライバッグから缶ビールを出す。でも帰りのことを考えるとさすがに酔っ払うわけにはいかず、今日はノンアルコールビールだった。飲まずとも、酔わずとも、この桜色だけで僕らは充分だ。

「三宅島の桜も、ちょうど今が見頃なんだろうなあ」

 ユラユラと水面を漂いながら、僕はそんなことを考えた。

 あの桜と出会った年、2000年の夏に三宅島の雄山が噴火し、僕らのツリーハウスは火山灰に埋もれてしまった。大規模な火砕流が発生し島の仲間は次々と避難を始めた。秋になると全島民が島外に脱出して、その後三宅島は5年近く無人島になった。

 しかし人間がいなくなったあとも当たり前のように季節は巡り、春になると島では桜が咲いた。メジロやシジュウカラが花蜜を吸い、蟻や毛虫が幹を這った。なにひとつ変わらず桜は自らの生命を謳歌した。そして今年もきっとあの桜は、ひとり山の中で命の歌を謳っているに違いない。

 やがて潮が引き、足元の水位が下がり始めた。そろそろ戻らなくてはならない。

「今度の大潮には、もう葉桜になってるんだろうな」

 誰にともなく、友人がそう言った。

 潮の満ち引きも桜の開花も僕ら人間には止めることはできない。今日のこの邂逅も一期一会のものだ。そしてこうしているあいだにも潮は動き、刻一刻と桜前線は北上を続ける。

「じゃあ、また来年」

 僕らは満開の桜に声をかけると、舳先を海へと向けた。

 川面にパドルを差し込むと、そこには一片の桜の花びらが浮かんでいた。
 
自らの命を楽しむように桜は咲いた
※記事の情報は2018年4月12日時点のものです。
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