新時代がスタート!「家飲み目線」で振り返る、平成の酒・激動の30年史
激動の平成30年と4か月。「家飲み界」にあったいろいろなことを振り返ってみます!
いよいよ令和がスタート。 新しい時代をはじめるにあたって大切なのは、過去をきちんと記録して次代に活かすことです。平成の30年間に、日本の「家飲み界」にはどんな事が起きたのか。私たち庶民「家飲み派」から見た時代の変化を、歴史の教科書風にまとめてみました。皆さんも、いろいろあった平成に思いを馳せながら、心機一転、令和の家飲みはじめましょう!
1.「アサヒスーパードライ」がビールの勢力図を塗り替えた。
平成の30年間を象徴する酒のブランドといえば、アサヒスーパードライに他ならないでしょう。平成元年の2年前、昭和62年(1987年)に発売。平成元年に年間販売数量1億箱突破。平成9年(1997年)に年間シェアナンバーワンに。「美味しんぼ」の山岡がケチをつけたくらいではビクともしないで勢いは加速。ビールの勢力図を塗り替えてしまいました。影響はビールだけに留まらず、以降は日本酒も辛口ブーム、白ワインも主流は辛口。「ドライじゃなければクールじゃない」という風潮まで創ります。時はまさにバブル経済の崩壊期。大手銀行が合併や破綻でと次々と姿を消していくなか、それまで絶対と思われていたトップブランドをアサヒスーパードライが高速で追い抜いたのは、まさに時代を象徴する出来事でした。これを目の当たりにした私たちは「不滅なものは何もない。世の中は変化するのだ」と強く認識したのでした。
2. 平成元年(1989年)「ピーチツリーフィズ」、平成13年(2001年)「氷結」。気がつけばRTDを飲んでいた。
昭和にはRTD(Ready to Drink=缶や瓶を開けてすぐに飲めるミックス済みのカクテルやチューハイ)というものは、ほとんどありませんでした。本格的に口火を切ったのは昭和59年(1984年)の「タカラcanチューハイ」。平成元年(1989年)には山瀬まみのCMで一世を風靡したメルシャンの「オリジナルピーチツリー・フィズ」が登場。そして平成13年(2001年)、満を持してキリン「氷結」(発売時「氷結果汁」)が誕生しメガヒットに。そして現在の「ストロング」ブームまで。気がつけばみんなRTDを飲んでいました。「家飲みはたいてい缶チューハイ」という人がたいへんに増えた平成時代でした。
3. 吟醸、純米、本醸造。そして生酛、山廃、古酒、発泡。日本酒は級別制度が廃止されて「肩書き」が花盛り。
昭和61年(1986年)と平成5年(1993年)、東京サミットの各国首脳乾杯用に大吟醸純米酒「吟の舞」が採用されたあたりから、私たち庶民も、日本酒の「吟醸」「純米」「本醸造」という「特定名称」を気にするようになります。平成4年(1992年)に廃止された日本酒級別制度に代わって、私たちが日本酒を選ぶ際の新しい選択基準になっていったのです。そして現在。もうスーパーの棚でこれらの特定名称がついていない普通酒を探すのはひと苦労です。さらに平成も後半になると、「生酛」「山廃」といった昔ながらの製法、そして古酒、熟成、発泡など特徴ある製法を名乗るものも加わって、日本酒は何らかの「肩書き」「タイトル」付きが当たり前という時代になりました。
4. きっかけは芸人Y氏の一言。いも焼酎がブームになって全国区に定着。
1980年代前半に起きた「いいちこ」の大ヒット以来20年間、本格焼酎(旧乙類)を引っ張ってきたのは飲みやすい麦焼酎でした。「焼酎は好きだけど、クセが強いのでいも焼酎だけは苦手」という人が多かった気がします。ところが、平成15年(2003年)に突如として芋焼酎ブームが湧き起こります。そのきっかけは、あるお笑い芸人がテレビ番組のなかで「黒霧島はうまい」と言ったことなのだとか。消費動向というのは何がきっかけで潮目が変わるかわかりませんが、この場合は、もともと美味しかったいも焼酎の実力に、人々が気付いたということでしょう。この時を境に、鹿児島と宮崎の一部のローカル酒だったいも焼酎が一気に全国区の酒となり、現在ではすっかり定着しています。
5. 限られた人のものだった「ワイン」を、みんなが飲むようになった。
いまでこそ日本でも、ワインを飲むのは普通の習慣です。自宅にもワインセラーとまではいかないけど2〜3本は買い置きがあるという人が多いのではないでしょうか。でも、こんな具合になったのは平成に入ってからなのです。平成元年(1989年)もバブル経済下でワインブームだったと言われていますが、それでもこの年の国内のワイン消費量は現在の3分の1以下に過ぎません。さらにその前の昭和、いまの40代以上の人が小さいころに、家でご両親がワインを飲んでいた、なんていうのはレアケースだと思います。バブル期の円高とボジョレーヌーヴォーブーム、90年代後半の赤ワイン(ポリフェノール)ブーム、そして現在のチリ&日本ワインブームなどがあり、平成の30年間でワインの消費量は飛躍的に伸びました。令和元年は欧州産ワインの関税撤廃も控えています。令和の家飲みに、ワインはますます欠かせないものになっていきそうです。
6. 発泡酒、第3、第4のビール。ビールのようでビールじゃないけど十分に美味しい飲み物がたくさん出た。
平成元年(1989年)に酒類販売免許が緩和されて、ディスカウント店などで安い輸入ビールが売れ始めました。これに対抗するため国内ビールメーカーが開発したのが、麦芽の量を抑えることでビールとは呼べないけれど税額が低いから価格も安くできる「発泡酒」です。平成6年(1994年)サントリーの「ホップス」を皮切りに、「麒麟淡麗〈生〉」、アサヒの「本生」など各社から次々と発泡酒が出て、ビールと比べて遜色のない品質だったために、一部の家飲み派がビールから乗り換えました。さらに平成15年の酒税法改正で発泡酒の税額が引き上げられたときは、「第3のビール」(新ジャンル)として、麦芽が入っていないものや、発泡酒にアルコールを加えたもの(別名第4のビール)が次々と誕生。こちらも各社の工夫の成果でビールよりむしろおいしいくらいという仕上がりだったために、ビールから、または発泡酒から乗り換える人が続出しました。令和2年(2020年)は、発泡酒も第3のビールも税額がビールと同額にまで引き上げられる予定。メーカーは価格のメリットを謳いにくくなります。発泡酒と第3のビールは平成限定の飲み物だったのか、それとも未来に生き残る確固たる存在なのか。その動向に注目したいと思います。
7. ウイスキーは一回レッドリスト入り。シングルモルトで細々と復活してハイボールで大旋風、そして品切れになった。
昭和58年(1983年)まで、日本のウイスキー消費は右肩上がりに伸びていました。ところがこの年ウイスキーの価格が引き上げられると、消費は一転急降下。平成19年(2007年)ころまで下落の一途をたどり消費量はなんとピークの5分の1に。当時のウイスキー不人気は世界的な傾向で、1980年代と90年代はスコッチの生産者も減産を余儀なくされるなど、ほぼ絶滅危惧種入りの雰囲気さえありました。転換点は平成21年(2009年)。静かにくすぶっていたシングルモルトブームに加え、サントリーが仕掛けた「ハイボール」が大旋風を巻き起こしてみごとにV字回復。平成26年(2014年)のテレビドラマ「マッサン」や低糖質ダイエットの流行もあって、居酒屋では「とりあえずビール」ならぬ「いきなりハイボール」も普通になりました。一方、シングルモルトなどの高級ウイスキーも世界的に好調で、こちらは先の減産がたたって深刻な原酒不足を起こしました。品薄になった国産シングルモルトの買い占めが始まり、エイジ記載の国産シングルモルトが相次いで販売終了を迎えるという事態に。ウイスキーにとっては天国から地獄、そして急回復しすぎで困るという、ジェットコースターのような平成でした。
8. 日本ワインや国産ウイスキーが国際品評会で次々受賞。日本酒の海外進出。再評価される「日本」。
平成の30年間で日本に起きた革命的変化といえば「外国から観光客が来るようになった」ということでしょう。昭和最後の63年(1988年)の一年間、「出国した日本人の数」は843万人。それに対して「日本を訪問した外国人」は236万人でした。この人数が30年間でどうなったかというと、平成30年(2018年)に出国した日本人は1,895万人と倍以上になりました。これに対して訪日外国人はなんと3,119万人。30年前の13倍にも増えたのです。このインバウンド人気が日本の家飲み派にもたらした変化は何か。居酒屋が外人さんで混むからますます家に引きこもった、とかそういう話ではありません。それはつまり「日本って意外にイイのかも」という再認識です。折しも日本のワインやウイスキーが海外の品評会で次々と受賞するようになり、日本酒も海外に進出してファンを増やしていきました。私たち家飲み派も「日本の酒」を見直して、もう一度その良さをしっかりと噛みしめるようになってきたのです。
9. クラフトビール、クラフトウイスキー、クラフトジン。「小さいことはいいいことだ」。
平成6年(1994年)の酒税法改正でビール醸造が規制緩和され、大手ではなく、個性的なビールを作る小規模な醸造所が全国で稼働を開始しました。これが「クラフトビール」の第一次ブームです。一時は300件を超える醸造所ができましたが、その後一旦ブームは落ちつき200件程度に。しかし2010年代になってブームが再燃し、醸造所数も第一次ブームのころを大幅に上回り、現在に至っています。ウイスキーでも、1980年代に一度起こって沈静化していたクラフトウイスキー作りが、シングルモルトブームや国産ウイスキーの原酒不足を背景に、2010年前後に復活。小規模な蒸留所が次々と全国に誕生しました。また、ウイスキーの熟成を待つ間の蒸留器を活用したり焼酎用の蒸留器を使ったりして「クラフトジン」の生産も各地で行われるようになりました。ビールもウイスキーもジンもそれぞれが個性的な味わいを競っているため、家飲みファンにとって飲み物のバリエーションが増え大きな楽しみとなっています。
10.「おつまみ」から「マリアージュ」へ。酒は食べ物とセットで語られるものになった。
平成8年(1996年)、食のポータルサイト「ぐるなび」がスタート。平成10年(1998年)「クックパッド」開設。平成11年(1999年)、「ザガットサーベイ 東京のレストラン」発刊。平成17年(2005年)「食べログ」開設。テレビがグルメ番組だらけになったり漫画誌もグルメ漫画が席巻するなど、グルメブームが本格化するなかで、酒も食事とセットの文脈で語られるようになりました。ビールも日本酒もたいていのテレビCMで食べ物と一緒に紹介されるようになり、かつては食事と切り離した存在であったウイスキーでさえ「唐揚げにハイボール」のように、食事の一部という地位に収まりかけています。添え物のイメージがある「おつまみ」という言葉はだんだんと使われなくなり、いまや「○○に合う酒」と主役は食べ物のほうです。私たちがお酒を、街の酒屋さんではなくコンビニやスーパーで食品と一緒に買うようになったことも関係している気がします。食べたいものにどんな酒をマリアージュさせるか。それが家飲み派の大きな関心事になったのです。
11. 酒について、みんなが「語る」ようになった。
「今日これ飲んだ。美味しい!」・・・多くの人がSNSを利用するようになって、お酒の味や一緒に食べたものについて、文章や写真、ときには動画で発信するようになりました。皆がお酒についての知識を深めて、そこに同好の士が集まるようになり、好きなお酒の趣味で交友関係も広がります。美味しいお酒について誰もが「語る」時代になったのです。そして平成29年(2017年)、当ウェブサイト「イエノミスタイル」開設。お酒を飲む人や作る人、みなさんの掛け橋になって、これからも楽しい情報発信を続けていきます。新しい時代の令和も、もっと楽しくて美味しい家飲みができそう。皆さんと共に歩むイエノミスタイルをよろしくお願いいたします!
※記事の情報は2019年4月30日時点の情報です。