南イタリア初のD.O.C.G.ワインとアルベルゴ・ディフーゾ
イタリア留学経験もあり、イタリア語講師として多数の著作がある京藤好男さん。イタリアの食文化にも造詣が深い京藤さんが在住していたヴェネツィアをはじめイタリアの美味しいものや家飲み事情について綴る連載コラム。今回は、イタリア版地産地消の取り組みをご紹介します
南イタリア初のD.O.C.G.ワイン
今回、食事をご一緒した人たちが、サルデーニャ料理は初めてということで、私にワインと料理のチョイスが任せられた。やはり、ワインなら「ヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ(Vermentino di Gallura)」がイチ押しである。なにしろ、サルデーニャで唯一のD.O.C.G.ワインなのだ。島の北東部ガッルーラ地区で作られるこの白ワインは、「ヴェルメンティーノ」というブドウ品種が主体。この品種はイタリアではトスカーナ州やリグーリア州でも栽培されているが、そのサルデーニャ産ヴェルメンティーノを使った白ワインは、他と比べても独特で、一層フルーティで柔らかな酸味が特徴。グレープフルーツのようだとも例えられる。さらに熟成を経て「リゼルヴァ」ともなれば、濃厚で口当たりの良い、ブランデーのような辛口の白に仕上がる。いずれも地元の新鮮な魚介類との相性が抜群だが、今回私がこのワインと一緒におすすめしたのも「サルデーニャ産ボラのカラスミのパスタ」だ。サルデーニャ産の白ワインと淡い魚卵のマリアージュ。スタッフの感動のため息が、今も耳に残るようである。
さて、サルデーニャ島の独特な美食の数々も、もちろん紹介したいのであるが、今日はちょっと視点を変えて、良質な産物を維持するための、イタリア版地産地消の取り組みをご紹介したい。それを知ることで、ワインをいただく興味も、一層深みを増すものと思うからだ。
アルベルゴ・ディフーゾと地方再生
別の言い方をしよう。一般的なホテルをイメージしていただきたい。その多くは1カ所の施設で受付、食事、娯楽、宿泊等のサービスを提供している。例えると、「垂直型」と言えよう。それに対しアルベルゴ・ディフーゾは、1つの町や村など自治体内の複数の建物を利用する。例えば、町の中心部に受付(ホテルのフロントに当たるもの)を設け、実際に宿泊する場所は、そこから一定の範囲内の、空き家、空き店舗などを改装して利用する。こちらは「水平型」と言ったイメージだ。
もう少し具体的に説明しよう。
サルデーニャ島の東部にオロゼイという人口7000人ほどの小さな村がある。そこで2010年から営業するアルベルゴ・ディフーゾ「マノイ(Mannois)」は、村内に散らばる3つの建物から構成されている。
A棟「サ・コルテ(Sa Corte)」受付、朝食用カフェ、スイート・ルーム7部屋
B棟「サ・ドンモ(Sa Dommo)」ツイン・ルーム5部屋
C棟「サ・トゥッレ(Sa Turre)」ツイン・ルーム7部屋、郷土料理レストラン
主要宿泊施設となるこの3棟が、100〜150メートルの距離を隔てて点在する。いずれも、かつては農家の建物で、空き家となっていたものを再利用している。すると例えば、B棟に泊まる人は、まずA棟に行って鍵をもらい、B棟に荷物を置き、C棟でディナーをすませ、B棟で眠り、目が覚めたらA棟に行って朝食を取る、という過ごし方になる。
大事なのは、その3棟を結ぶ100〜150メートルの間に、このホテルの関連施設や店舗があることだ。「マノイ」の場合、オロゼイ湾をのぞむ海辺の村であることから、まずプライベート・ビーチを備えている。そのビーチで海を楽しむためのレンタル店(ビーチパラソル、ボート等)、自然と親しむトレッキングのための案内所が、棟と棟の間にある。さらにレンタル自転車やレンタカーは、このホテルの客であることにより優遇されるが、その店舗も棟から棟への途中にある。また、地元の食材やワインを売る店もホテル周辺に集まっているが、その味はC棟のレストランでも堪能でき、気に入ったものを土産物として購入できる。ほかにも、民芸品店、小物店、写真館、ブティックなどが肩を寄せ合い、宿泊客を気軽に招き入れる。このようにホテルの3棟を中心に、その周辺の施設や店舗が関連づけられており、言うなれば村全体がホテルの一部として機能している。このように、アルベルゴ・ディフーゾが1つあるおかげで、村の様々な産業と経済が潤うことになる。
またおもしろいことに、旅人は、この空間の中で旅人であることを忘れてしまう。名もない小村に立ち寄り、ホテルというよりは自宅のような宿泊施設に寝泊まりし、昔から地元にある商店で買い物をし、地元の人が集う場所で足を止め、地元の食材を使ったレストランで飲食を共にするのである。こうした触れ合いの中で、いつしか旅人は「地元住民」と化すのだ。かたや村の人々は、どんなに地元の客が相手の商店でも、いつ何時、外国人の訪問があるかわからない。そのような現実に暮らすことで、常に心構えは外を向く。いつ、どんな客が訪れてもいいように備える。むしろ、積極的に自分たちの商品が外国人にも評価されるように工夫し始める。すると、商品だけではなく、ホスピタリティーの質も向上するのだ。まるで魔法のような「おもてなしシステム」。このようにして、過疎化した村が再生した例が84もあるという(2015年の調査)。それこそがアルベルゴ・ディフーゾの真骨頂なのだ。
アルベルゴ・ディフーゾの先駆者としてのサルデーニャ
「アルベルゴ・ディフーゾの始まりは、1976年に北イタリアを襲ったフリウリ地震による震災復興である。スロベニアとの国境に面したフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州を襲ったこの地震は、77のコムーネ(イタリアの基礎自治体)に、死者939人、負傷者2,400人と大きな被害をもたらした。イタリア政府等は震災復興策として、壊れた家の再建や改修、補修等を実施したが、親戚などを頼りコムーネを離れる住民もおり、多くの空き家が発生した。地震の被害に加え、住民の減少、空き家の増加によって、コムーネの活力は失われ、経済的にも疲弊し、更なる住民の流出、空き家の増加を招いた。当時、観光や地域活性化のコンサルタントであったジャンカルロ・ダッラーラ氏が、この地を訪れ、この空き家をホテルの部屋として活用し、観光客を呼び込み、コムーネを活性化させようと考えたのが、アルベルゴ・ディフーゾの始まりである」(NETT No.88 2015年春号より引用)
参考資料: http://www.nett.or.jp/nett/pdf/nett88.pdf
このように、このアイデアの発端は、災害時の復興策としてであった。つい最近、東日本大震災を経験したばかりの私たちには、その切実さが身にしみる。それが後年、別の社会問題対策として再び注目されることになる。「少子高齢化」と「過疎化」の問題だ。1980年代以降、女性の社会進出が進んだイタリアでは、出生率がほぼ右肩下がりの一途をたどり、2013年には世界224ヵ国中210位という低出生率を記録している。その上、若年層の都会への進出、または海外への流出が増え続け、小村や僻地の過疎化が進行した。そこで注目されたのが、引用文にもあったジャンカルロ・ダッラーラ氏(Giancarlo Dall’Ara)の取り組みだ。1998年、アルベルゴ・ディフーゾの新規定をまとめると、そのモデル・ケースとなったコムーネが政府の承認を得た。そしてダッラーラ氏自らが「アルベルゴ・ディフーゾ協会(Associazione Nazionale Alberghi Diffusi)」の会長に就任し、現在に至る宿泊形態が誕生したのである。そのモデル・ケースとなった村が、サルデーニャ島なのである。
参考資料:https://www.albergodiffuso.com/l_idea.html
言わば、サルデーニャは「アルベルゴ・ディフーゾ」の先駆者と言っていい。そして、時を同じくして1996年、同地特産のワインが政府認定の最高格D.O.C.G.に昇格した。それが冒頭で紹介した白ワイン「ヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ」なのだ。
「アルベルゴ・ディフーゾ」を訪れる旅人は、食の好みも自然志向が多い。その地でしか食べられないもの、地元ならではの食材や料理を好む。したがって当然ながら、食事の共のワインも現地のものを主体に提供される。サルデーニャなら、白ワインの最高ランク「ヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ」を筆頭に、それに次ぐ「ヴェンルメンティーノ・ディ・サルデーニャ」が人気となるし、赤ならば「カンノナウ」だろう。このように、「アルベルゴ・ディフーゾ」というシステムが、ワインを始めとする地元の食文化を守ることにもつながっている。それどころか、サルデーニャでは廃れていた農業が復活するなど、島の再建、地域の活性化に大きな役割を担っている。こうした斬新な取り組みは、きっと日本の未来にとっても参考になるだろう。「ヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ」を飲むたびに、イタリアの素晴らしいアイデアを、どうにか日本にも移植できないか、と思いを馳せてしまうのである。
※記事の情報は2017年5月30日時点のものです。
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