ベルギーの自然発酵ビール「ランビックビール」とは

個性豊かな味わいで知られるベルギービール。なかでもユニークなのが首都ブリュッセル近郊だけで造られるランビックビールです。アルコールを造り出す酵母を添加せず、自然にアルコール発酵が始まるのを待つ製法で強い酸味があります。製造方法の特徴とリンデマンス醸造所のディルク・リンデマンスさんのお話を紹介します。

メインビジュアル:ベルギーの自然発酵ビール「ランビックビール」とは

ランビックビールの産地はブリュッセルの郊外だけ

ランビックはブリュッセルの南西部パヨッテンランド(Pajottenland)と呼ばれる地域だけで造られます。ビール産業は、ビール造りに向いた酵母を純粋培養し、冷蔵技術で発酵温度をコントロールする方法を確立し産業化しました。けれどもランビックはこの造り方と正反対です。酵母を添加せず、冷蔵設備も使いません。強い酸味と独特の香りがあり、16世紀にブリューゲルが描いた農民たちが飲んでいたビールと同じものといわれています。
パヨッテンランド(Pajottenland)の位置
ランビックが造られるのはブリュッセル郊外のパヨッテンランドと呼ばれる地域
ブリューゲルの作品
ブリューゲルは市井の人々の暮らしを題材にした作品を多く残した。向かって中央左の男はビールのジャグを手に酔っぱらっている

天井の穴から酵母が降ってくる

ランビックの原料はモルト(大麦麦芽)と小麦を7:3、水、そして3年間以上乾燥させたホップです。まず、挽いたモルトと小麦に水を加えて加熱して麦汁をとります。そこにホップを投入してさらに数時間煮沸します。これを濾しながら底の浅いバットに流し込み、ひと晩そのまま放置して、解放された窓や天井に空けられた穴から野生酵母が入り、繁殖するのを待ちます。発酵が始まったのが確認できたらオーク樽に詰めて、3年間発酵させます。
モルトと小麦を挽いて煮沸して麦汁をとる
モルトと小麦を挽いて煮沸して麦汁をとる
畳10畳ほどのバット
畳10畳ほどのバットに麦汁を流し込み野生酵母の繁殖を待つ
大きなバットの置かれた部屋には複数の天窓がある
大きなバットの置かれた部屋には複数の天窓がある。外気を取り込んで野生酵母を取り込む
発酵ではいろいろな種類の野生酵母が活躍しますが、主役はブレタノミセス・ブリュクセレンシスとブレタノミセス・ランビキュスの2つ。ワインでは「馬小屋の臭い」といわれるオフフレーバーのもととなるため嫌われます。しかし、清酒やワインで使われる酵母サッカロミセス・セレビシエには消化できない大きな糖を食べることができ、低糖状態でも活動するためランビックでは重宝されています。ちなみに3年乾燥させたホップに清涼感のある香りはまったくなく、防腐効果のために使用されています。

フルーツビールのベースになるランビック

3年間という長い発酵を終えたランビックは酸味が強く甘みはほとんどなく、炭酸ガスもありません。現地のブルワリーやパブには、このまま提供したり、さらに長い期間貯蔵して熟成させたりするところもありますが、大半は別のビールを造るためのブレンド原酒として利用されます。

日本にも瓶詰め商品が輸入されている「グーズ」は、完成したランビック(3年もの)に発酵途中の若いランビック(1年ものなど)をブレンドして瓶詰めし、瓶内二次発酵により炭酸ガスを得ます。ランビックそのものの味わいを楽しみたい方向けの商品で強い酸味があります。

また、世界中で飲まれているフルーツ・ランビックは、若いランビックにサクランボやカシスなどのフルーツを漬け込んで再発酵させたり、果汁を加えたりして瓶詰めしたものです。ランビックの酸味を活かしつつフルーツフレーバーで飲みやすくなっています。
モルト、小麦、仕込み水、3年間乾燥させたホップ
ランビックの原材料の展示。モルト、小麦、仕込み水、3年間乾燥させたホップ、そしてパヨッテンランドの空気(野生酵母)
樽
ランビックは樽で3年間の発酵・貯蔵してできあがる

ランビックはどぶろくビール?

ランビックの醸造期は、気温が15℃以下に下がる10月から4月。清酒の寒づくりと同じ理屈で、雑菌が繁殖しにくく発酵管理をしやすい冬場に造られます。ブリューゲルの絵にある農民たちは農閑期にランビックを仕込み、春から夏には農作業の合間の水分や栄養補給に飲んだそう。韓国ではマッコリは農酒といわれ、農作業をしながら飲まれていましたが、日本のどぶろくも同じ。ランビックはパヨッテンランドのどぶろくといえそうです。

土地に根付いた庶民の酒ですから、ランビックを造るブルワリーはたくさんありました。ビール評論家の田村功氏によると1965年には47カ所ありましたが、転廃業が相次ぎ現在は3分の1ほどになっています。
ランビック醸造所カンティヨン(Cantillon)
ブリュッセル中心部の住宅街にあるランビック醸造所カンティヨン(Cantillon)。世界遺産のグランプラスから徒歩で行ける
牧草地
ブリュッセルから約10km離れると牧草地や小麦の畑が広がる。休日にはサイクリングやハイキングを楽しむ人も多い
オード・ベールセル(Oud Beersel)醸造所
牧草地を抜けたところにあるオード・ベールセル(Oud Beersel)醸造所は1882年創業。2002年に一度閉鎖されるも2005年に現経営者が事業を引き継ぎ復活させた

「リンデマンス醸造所」は製造量の7割を輸出

「リンデマンス」は日本でも比較的入手しやすいランビックです。一昨年、創業200年を迎えた老舗で、ランビック醸造所としては中堅規模です。1822年、古くからこの地で農業を営んでいたリンデマンス家は、農閑期の小作人に仕事を与えるためにランビックの醸造を始めます。

世界的なランビック醸造所になる転換点は1961年でした。5代目当主レネ・リンデマンスはクリーク(サクランボを加えて瓶内二次発酵させたフルーツ・ランビック)を商品化します。当時はまだフルーツビールはほとんど造られていませんでした。これが好評を博して増産を重ね、1970年代にはパリに、その数年後にはアメリカ輸出が始まります。アメリカへの輸出では、輸送中の大西洋上でビールが吹き出すトラブルが続出しました。レネは加熱殺菌のやり方を改善するなど工程を見直し、長距離輸送に耐える製品に仕上げます。こうして輸出は順調に伸び1980年代には製造量の7割を占めるようになりました。おもな輸出先はアメリカ、フランス、スイス、ドイツでした。
リンデマンス(Lindemans)醸造所
リンデマンス(Lindemans)醸造所はブリュッセル中心部から西に15kmほどののどかな地域にある
リンデマンスのフルーツビール
リンデマンスのフルーツビール。クリーク(サクランボ)やペシェ(桃)など日本でも入手しやすい

製造量の9割はフルーツ・ランビック

現在の6代目当主であるディルク・リンデマンスさんに近年の販売状況について話を聞くことができました。

「現在も輸出が7割を占めていますが、輸出先は中国が大きく伸びて22%を占め最も多くなりました。次がフランス、アメリカでそれぞれ2割近いです。南米やアジアの国々にも出ていて、日本は2%ほどです。

製造量の9割はフルーツ・ランビックで、幅広い方に楽しんでいただいています。残りの1割は長期間熟成させる上級品、ハイエンドな商品もランビックの価値を高めるために必要ですし、重要なテーマだと考えています。たとえばクリークのレギュラー商品は、1年物のランビックにサクランボの果汁を加えて馴染ませてから瓶詰めし、加熱殺菌して安定させます。これに対してプレミアム商品は、6ヶ月くらいの若いランビックにフレッシュなサクランボを丸ごと加えて6ヶ月間再発酵させ、瓶詰めしてさらに3ヶ月間発酵させて出荷します。ランビックで1回目の発酵、果実を加えてタンクで2回目の発酵、瓶内で3回目の発酵があります。味わいはエレガントで複雑かつフレッシュな果実味が特徴です」
6代目当主であるディルク・リンデマンスさん(右)と醸造長のピーター・ロンダースさん
6代目当主であるディルク・リンデマンスさん(右)と醸造長のピーター・ロンダースさん

ランビックをベースに新価値開発

さらにランビックの魅力を知らしめる新商品の開発についても聞かせてくれました。

「『ボタニカル・ランビックシリーズ』は3年物と1年物のランビックをブレンドしたものに、バジルやショウガなどのボタニカルを浸漬し、ボトルに詰めて再発酵させました。ランビックをベースにさまざまなボタニカルを組み合わせて、フルーツ・ランビックとは違う魅力をつくれたと思います。

もうひとつは『ゴーイック(GOYCK)』です。アントワープのブルワリーが造る小麦のエールビールと、グーズをブレンドしたもので、2021年ワールド・ビア・アワードで「ワールドベスト・スタイル・ウィナー」と「ワールド・ベストサワー&ワイルドビア」を受賞しました」

安定した人気のフルーツビールをベースに、上級品や新しいスタイルの開発に余念がないリンデマンス。世界中でパヨッテンランドにしかないランビックを未来につなげる醸造所のひとつです。
 
ランビックにサクランボを加えて再発酵させた「オウド・クリーク」(右)とボタニカルを加えた「ボタニカル・ランビックシリーズ」(左)
ランビックにサクランボを加えて再発酵させた「オウド・クリーク」(右)とボタニカルを加えた「ボタニカル・ランビックシリーズ」(左)
小麦のエールビールとランビックをブレンドした意欲作「ゴーイック(GOYCK)」。ゴーイックはリンデマンスが新たに建設したエールビールのブルワリーがある村の名前だ
小麦のエールビールとランビックをブレンドした意欲作「ゴーイック(GOYCK)」。ゴーイックはリンデマンスが新たに建設したエールビールのブルワリーがある村の名前だ

※記事の情報は2024年9月5日時点のものです。
 

 

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