仏産と伊産のスパークリングワインをともに美味しく楽しむ秘訣は、グラスの選び方にあり
イタリア留学経験もあり、イタリア語講師として多数の著作がある京藤好男さん。イタリアの食文化にも造詣が深い京藤さんが在住していたヴェネツィアをはじめイタリアの美味しいものや家飲み事情について綴る連載コラム。今回は、国によって違う、スパークリングワインのグラスの選び方をご紹介します。
シャンパン・グラスに秘められた泡を楽しむ仕掛け
「ごらんなさい。このワインが入る部分の底に、削ったような傷があるでしょう。これは最初から、わざと付けられたものなのよ」
細身のグラスの底に目を凝らすと、確かに薄く円形の傷があるのがわかった。
「なぜだかわかる?」
と教室で文学史についての質問をするときのような口調で私に聞いたが、すぐに答えは出せなかった。フフッと、困り顔の私を笑いながら、
「見ればわかるわ」
おもむろに、グラスにシャンパンを注ぐと、グラスの底からはきめ細かな泡が、まるで金色のキャンバスに白線を描くように、幾筋も、幾筋も、まっすぐに立ち上った。きれいだ。無口になる私に、
「この泡を作るためなの。この傷が、美しい泡が生み出すのよ」
これが芸術よといわんばかりの口調だ。さて、こうなるのは簡単に言えば、次のような原理だ。傷をつけることでわずかな隙間が生まれ、そこに空気がたまる。その微量の空気とワインに溶けた炭酸(炭酸は二酸化炭素CO2である)が触れ合うと、泡の勢いが強くなり、急上昇することになる。そして、その美しい泡の軌跡を存分に楽しむためにも、グラスは長く、細身でければならない。例えば、イタリアでは”クーペ(coupe)”と呼ばれる、結婚の披露宴などでシャンパン・タワーに使われる底の浅いグラスは、泡を愛でる意味では不十分な形状であるとも教えてもらった。
イタリア産スパークリングに適切なグラスとは
そう口を挟むのは、アンジェラ先生の夫で、彫刻家のジョヴァンニ・アリコー氏だった。ジョヴァンニさんは当時40代半ば。身長が高く、グレーの髪を短く刈り込み、浅黒い肌の精悍な顔つき、おまけに、おしゃれなシャツに柔らかいスラックス、素足に革靴というスタイルが、やたら決まっていた。彫刻作品を制作するかたわら、ヴェネツィアの北に浮かぶムラーノ島のガラス職人たちと共同し、ヴェネツィアングラスの技術を活かしたオブジェなども手がけていた。ワイングラスにはとことん、こだわりがあった。
「シャンパンならフルートでもいい。でも、プロセッコなら、どうだい? このワインのもつアロマを存分に味わうには、もっと底の広い形状じゃないと。そう思わないか? だから僕は、こんな卵型のグラスを選ぶのさ」
声もいいのだ。またその言い方が、舞台に立っているのかと思うほどの見事なセリフ回し。会場の照明が、まるで彼のためのスポット・ライトのようだ。よく見ると、乾杯のときには、みんなフルート・グラスだったはずだが、いつのまにかジョヴァンニさんだけ、白ワイン用のグラスにワインを移していた。気がつかなかったなあ。そして、こんな風に続けた。
「フランチャコルタは、もっと豊かで、深いアロマがあるよ。だから、さらに底に余裕のあるグラス、むしろ赤ワイン用のボウル型グラスで、泡を飛ばすぐらいスワリングして飲むのがいいね」
隣で聞いている私は、詩の朗読にでも身を委ねているかのような心地がした。そんな会話を交わしたのが、1990年代の半ばのこと。まだ「ちょい悪オヤジ」の言葉もなかったなあ。フランチャコルタが辛口白のスパークリングワインとして初めてD.O.C.G.に昇格したのも、ちょうどその頃だった。今思えば、スパークリングワインの味がレベルアップしてきた時期なのだろう。そしてよりカジュアルになり、飲み方のバリエーションも増えてきたのが、その時代だったのだ。
シャンパンとフランチャコルタの違いについては、以前にこのコラムで詳しく書いたが、同じ品種、同じ製法でありながら、イタリアではブドウの生育がよく、完熟するために、仕上がったワインの味には深みがある。酸味の際立つシャンパンに対し、フランチャコルタは、甘み、ミネラル感、アロマが複雑に絡みあう。だから、狭い口から一気に喉の奥に流し込むフルート型のグラスよりも、ワインをじっくり“開いて”、口全体にワインが広がるようなグラスで飲むべきだ、というのがジョヴァンニさんの主張だった。
フランチャコルタのために開発されたグラス
とはいえ、やはりフランチャコルタやプロセッコのD.O.C.G.は、その味わいも大切にしたい。でも、始まりの高揚感も損ないたくない。何か良いスパークリング用のグラスはないかと模索していた頃、気になる知らせが飛び込んできた。2011年頃「フランチャコルタ協会公認の新型グラスの誕生」というニュースが出回った。フランチャコルタ協会の設立が1990年。その20周年を記念してドイツのガラスメーカーRastalと共同開発されたものだった。
以来、これを取り寄せ、使っている。フルート型グラスのようにステム(脚)が長いが、カップは丸みを帯びたチューリップ型。しかし一般的な白や赤ワイン用よりも小ぶりで、威圧感がない。バルーン型やボウル型のグラスほどの広がりはないが、フルートに比べれば空間に余裕があり、軽いスワリングもできる。さらに、カップ部分の底が広がらず、下に向けて鋭角に尖った形になっており、この深さから泡が立ち上って見た目の美しさも引けを取らない工夫が見られる。このグラスならば、自宅に人を招いたときにも、控えめながらも華やかで、しっかりとワインの味も引き立ててもくれる。そのように気に入り、我が家ではいつもこのグラスで、ホーム・パーティーの幕が開いている。
※記事の情報は2017年7月11日時点のものです。
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