意外と知られていない【杜氏】というお仕事。日本酒造り最大のキーマンだ。
日本酒の蔵で酒造りの責任者をつとめるリーダー、それが杜氏。でも、どんなお仕事してるの?
冬が近づくとやってくるすごい男たち!
日本酒といえば、寒い冬場に造るものですが、江戸時代までは一年中造っていたようです。しかし酒の原料のお米は、飢饉に備えて備蓄しておく必要があり、不足すると価格の急騰を招きかねません。そこで幕府は通年の酒造りを禁止し、冬季にのみ、集中して酒造りを行うようにお触れを出したのでした。こうして日本酒は冬に大量に造るものになりました。もっとも、冬場は気温が低く、雑菌の繁殖押さえられて酒造りにはもってこいの季節。さらに大型の仕込樽も普及してきて酒の寒造りは定着していきました。
冬の短期間に大量に酒を造る……となると困ったのは人手不足です。冬の間だけ、一時的に蔵人不足が起こってしまいます。その窮地を救ったのが、冬の農閑期に手が空く農村の働き手たちでした。春から秋は農作業をし、冬には日本酒の蔵に出稼ぎに出て酒を造る。蔵元と農民の利害が一致して、各地の農村に酒造り職人が誕生したのです。そのリーダーたちが杜氏です。農閑期になると、地元の蔵や、場合によっては国内津々浦々の日本酒蔵に出かけていって住み込み、農作業が始まる春まで酒造りに精を出します。
こうして杜氏を中心にした酒造グループ、杜氏集団が生まれました。そして地方ごとに日本酒造りの技の継承や、その地方ならでは技の開発が行われ、日本各地に様々な流派が生まれていきました。現在でも、この流れを汲む杜氏や蔵人が全国の蔵で活躍しています。
ちなみに、この「杜氏(とじ)」の語源を紐解いていくと、「刀自(とじ)」という言葉に行き当たります。これは家事を取り仕切る主婦を表す言葉だそうです。その昔、宮中では女性中心に酒造りが行われていたのだそう。江戸時代に入って冬季に集中して大量の仕込みを行うようになったため、酒造りは力仕事になってしまい、日本酒蔵は腕力のある男の職場になっていったのです。
日本三大杜氏
●南部杜氏(岩手県)
最盛期には3000人を超えるメンバーがいたという日本最大の杜氏集団。現在でも300名を超えます。もともとは東北にやってきた近江商人が酒造りの技術を伝えのが始まりだとか。東北の硬い米を上手に扱い、柔らかな味わいの酒を造るのが持ち味。
●越後杜氏(新潟県)
南部杜氏に続く規模で170人ほどの集団。酒どころ新潟の屋台骨を支える杜氏たちが醸す酒は、もちろん新潟の酒の代名詞でもある、淡麗辛口。
●丹波杜氏(兵庫県)
現在は40人程度と規模は小さいながらも、その歴史の長さや、銘酒の産地、灘の名を日本中に轟かせた技術力が評価されて、大きな影響力を持っています。一頃は5000人を超え、遠く中国まで杜氏を派遣していたそう。ミネラル分豊富な水を使いこなし、濃厚で辛口の酒が自慢。
杜氏のお仕事はスーパー管理職
杜氏の仕事、工場長だけにとどまりません。日本酒造りはかつては数十人、いまでも数人から十数人で行う共同作業です。個々人の適正を見極めた的確な人員配置や、チームメンバー間のトラブルに対処したり、より良いチームワークを発揮してもらうためのあれやこれや……杜氏は人事部長でもあるのです。
杜氏が管理しなければならないのは、日々の作業と人の他にも、まだあります。醪(もろみ)の発酵状態などを知るための化学的な数値です。日々測定、分析を繰り返し、微生物たちの働き具合を管理します。さらには、税務署に提出する書類の作成などの事務作業も……。杜氏は、酒造りのスーパー管理職なのです!
新しい波
※記事の情報は2018年9月11日時点のものです。
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