家飲み文化部③ 読んでから飲む! 家飲み漫画ミシュラン〈前編〉グルメ漫画の系譜
いま「家飲み」は私たちの食生活の重要なテーマとなり、漫画作品のモチーフとしても数多くとりあげられるようになりました。読んでから飲むか、飲みながら読むか。このコーナー「家飲み文化部③」では、読んだら飲まずにはいられなくなるような、魅力的な「家飲み漫画」を紹介したいと思います。でもそもそも「家飲み漫画」とは何なのか。多少イメージしづらいかもしれません。そこでこの〈前編〉ではまず、我が国における「グルメ漫画」の誕生と進化、そのなかで「家飲み漫画」がどのような位置にあるのかを整理してみることにします。
料理人の時代
1973年6月、大相撲で輪島が横綱に昇進したり、東京の渋谷にNHKホールができたりしたころ。火曜日発売の週刊少年ジャンプは発行部数100万部を大幅に超えて、水曜日発売の週刊少年マガジンからいままさに覇権を奪おうとしていた。このときのジャンプの屋台骨は「侍ジャイアンツ」や「アストロ球団」、「ど根性ガエル」、「トイレット博士」、それに「マジンガーZ」だ。25号から「はだしのゲン」、27号からは「プレイボール」の連載もはじまっていた。ひしめく名作たちに埋もれるように、28号に新しく登場したのが「包丁人味平」(原作:牛次郎、作画:ビッグ錠)だ。
むし暑い梅雨どきに、絶好調のジャンプで、暑苦しい調理場シーンだけの辛気くさい作品がはじまった。なんだようこれは・・・戸惑いと落胆。小学生読者の正直な気持ちだった。しかし、そんな第一印象は1ヶ月もしないうちになかったことになった。その暑苦しい漫画は面白かったのだ。主人公が困難に直面し、血のにじむような努力(文字通り出血して指先の肉片とともに料理に入れたりしていた!)で切り抜けながら、ライバルたちと壮絶な戦いを繰り広げる。スポ根漫画の血統に属する「味平」がジャンプ読者のハートをつかむのに、時間はかからなかった。
「味平」以前にも「突撃ラーメン」(望月三起也)や「ケーキ ケーキ ケーキ」(萩尾望都)などのすぐれた料理漫画はあったが、長期にわたって連載し、料理を題材にした漫画の地位を確たるものにしたのはなんといっても「味平」。同作以後、グルメ漫画という大ジャンルが形成され、拡大を続けることになる。40年たったら、野球やロボット戦隊よりも「味平」のような料理漫画のほうがたくさん出るようになっているなどと、73年の当時だれに予想できただろうか。
グルメ漫画のなかでも「味平」のような料理バトルものは、初期のころからずっとこのジャンルの先頭を走ってきた。80年代の「ミスター味っ子」、90年代の「中華一番」、2000年代の「華麗なる食卓」、そして2012年に連載がはじまった「食戟のソーマ」に至るまで、数々の傑作が生まれた王道カテゴリーだ。
バトルものに併行して、料理人が主人公ではあるがライバルとの対決が主軸ではない物語もあらわれる。85年連載開始の「ザ・シェフ」は、天才シェフが法外なギャラで料理を請け負いながら人々のいろいろな問題を解決するという、料理版「ブラック・ジャック」。「食キング」(連載開始99年)、「そばもん ニッポン蕎麦行脚」(同2008年)もそうだが、これらは「流れ板もの」だ。ときおり対決もするけど、対決ありきというわけではない。
対決も天才肌の登場もなく、若い料理人が厳しい職場で修業を重ねて成長する過程を追った「修業もの」も数多く描かれた。80年代に連載がはじまった「味いちもんめ」、99年に連載開始の「江戸前の旬」といった作品だ。バトルものようにネタが尽きるということがないからか、どちらもいまも連載中(「味いちもんめ」はいったん終了後に復活)のロングセラーとなっている。大使公邸の料理人が主人公の「大使閣下の料理人」(連載開始98年)など異色作も現れ、洋食の「おいしい関係」、イタリア料理の「バンビーノ!」、フレンチの「★★★のスペシャリテ」、製パンの「焼きたて!!ジャぱん」など、毛細血管のように細分化された料理分野に浸透していく。
食べる側が主役に
「味平」の連載開始から10年たった1983年。千葉県の浦安市に東京ディズニーランドが開園した。小学生のときに「味平」を読んで育った漫画読者は社会人や大学生になっている。彼らはその年、ふたたび革命的グルメ漫画に出会う。10月15日発売、ビッグコミックスピリッツ20号の新連載「美味しんぼ」(原作:雁屋哲、作画:花咲アキラ)だ。
大手新聞社文化部の窓際社員が、豆腐について蘊蓄(うんちく)を披露することではじまったこの物語は、とにかく前例のない漫画だった。
料理の話なのに、料理人ではなく、ああだこうだと蘊蓄を言うだけの人物が主人公なのである。しかもそのバトルの対戦相手もまた蘊蓄をかたむけるだけの知識人。二つの勢力は対決するものの、競うのは料理の腕前ではなく知識量と取材力や人脈という、まるで就職活動かサラリーマンのコンペのような戦いが繰り広げられていく。
絵は動きと表情のパターンが決まっていてどんなセリフにもマッチするから、スピリッツ誌上でやっていた、いとうせいこうのコラ投稿企画「盗魂」の格好の素材となった。そんな漫画なのに「美味しんぼ」からは目が離せなかった。いつも食について、私たちが知らなかったことを教えてくれたからだ。「美味しんぼ」以前は一部の食通が知っているだけだった伝統的な和食のこと、ほとんどの読者が一度も行ったことのないフランス料理のこととか、食材の旬などの知識を授けてくれた。ときおり誰でもできる簡単なまかないの作り方も出てきてやってみたら本当においしかった。はじめ 平坦に見えた絵も、料理や飲み物が美味しそうで、クセになってくる。グルメブームに批判的だった原作者の意図とはうらはらに「美味しんぼ」はかえってグルメブームを加速させながら、30年以上にわたって連載を続けた(現在単行本111巻で休載中)。
「美味しんぼ」には料理人も出てくるし料理のワザもことこまかに紹介される。だがその一方で「京極さん」などの食通が数多く登場し、「まったり」など、味わいの表現が数多く創造された。主人公はこっち、食べるほうだ。「美味しんぼ」が開拓したのは、食べる側の視点で描かれ、読者に食べかたを教えてくれる、新たな漫画ジャンルだったのだ。
それから食べるグルメ漫画はさまざまな方向に拡散していく。たとえば蘊蓄路線を酒に特化させたのが「ダメおやじ」の作者、古谷三敏による「BARレモン・ハート」(85年連載開始)。この作品ではバーテンダーのマスターが世界中のあらゆる酒についての知識を披露し、読者はこの漫画でバーの作法、酒の飲みかたを教わった。
食堂を舞台に、料理を描きながらも店に集まる人間模様のほうに重点をおいた「深夜食堂」(2006年〜)のような作品もたくさん生まれた。さらに、料理や食の周辺のさまざまな人、酒蔵の経営者やソムリエ、魚河岸の仲卸の店主、農業大学の学生などを中心にすえ、食の蘊蓄を盛りこみながら人間ドラマを展開する作品が次々と生まれる。料理の味は二の次で「食べ方」だけにこだわる作品、タイムスリップした江戸時代やパラレルワールドなど異世界で食べるという作品、エロ視点をからめた作品まで現れた。このような、店や、その他食関連の担い手を舞台に食べるほうに軸を置いた「店と食文化」のカテゴリーも、いまなお百花繚乱だ。
食べ歩き漫画の登場
1994年、日本経済はバブル崩壊のショックからまだ立ち直れず、名古屋空港での中華航空機の墜落やルワンダ虐殺など暗いニュースが相次いだ。そんななか、グルメ漫画界はエポックメイキングなふたつの作品を生み出す。月刊PANJAの「孤独のグルメ」と、漫画ゴラクの「酒のほそ道」だ。それまでのグルメ漫画と一線を画していたのは、この2作品は料理バトルや食文化の担い手の活躍とか、客たちの人間模様などドラマチックな要素をほとんど排除し、「単なる食べ歩き」に徹した漫画だったということだ。
「孤独のグルメ」(原作:久住昌之、作画:谷口ジロー)の主人公は、いつも街の食堂に一見さんとして入っていく。そこで何の予備知識もなく注文し、食べる。主人公の職業やかつての恋人のこともちょっと出てくるが、それは物語の表舞台にはのぼってこない。あくまで注文して食べるだけで毎回の物語は完結する。食堂はリアルな店をモデルにしていて、読者は実際に出かけて食べることができる。出版された単行本はたったの2冊にすぎないが、テレビドラマの影響もあって、20年以上たった今でもカルト的な人気を保っている。
「孤独のグルメ」の主人公である五郎が下戸なのに対し、「酒のほそ道」(ラズウェル細木)の宗達は大酒飲みだ。そして孤独ではなく、同僚や上司といっしょに飲み歩く。ただ彼らとは飲み以外のつきあいは描かれない。ガールフレンドとも友達以上恋人未満のままで、恋愛やその他の感情の排除傾向は「孤独のグルメ」よりも強い。そして飲みながら、宗達は語る。酒とつまみに関する自分なりのこだわりについてこれでもかと語るのだ。しかし基本的に自腹だから「美味しんぼ」の山岡のように高価なものは食べない。うなぎ屋にいくのは課長のおごりのときだけ。だいたい一人3000円〜7000円ぐらいとおぼしき飲みを繰りかえす。出てくる店はたいてい架空の店だが、実在の店をモデルにすることもあって、そのときは店名のヒントが読者にさりげなく与えられる。単行本は40巻以上を数えるロングセラーだ。
もはや懐石料理もフランス料理も出てこない。ついでに生死をわける冒険も、身を焦がす恋も出てこない。登場人物は大手新聞の記者でも老舗酒蔵の経営者でもないフツーの人。いやフツーかどうかも関係ない。食堂の店内しか描かれないのだから。だから、読者はこれらの作品に描かれたことをそのまま、その夜にでも実体験することができる。知らない食堂や居酒屋に入って、注文すればいいのである。この、ほんのちょっとの冒険に読者を誘うためにグルメ漫画は、あこがれを抱く対象から現実的なガイドブックへと移行した。インターネットでは96年に「ぐるなび」開設、書籍では99年に「ザガット・サーベイ日本版」が刊行。食べ歩き情報がすべての人にいき渡る時代は、すぐそこまで来ていた。
その後このカテゴリーは拡大し、食べ歩きの対象もまた細分化。居酒屋やラーメンはもとより、駅弁、朝食、昼酒、鰻オンリー、寄食など果てしない小道に迷い込んでいく。登場人物の設定も出張サラリーマン、刑事、探偵、棋士、定年退職者、OLグループ、女子お一人様、謎の女など、あの手この手で驚くほどのバリエーションが生まれている。
自炊漫画、そして「家飲み漫画」
これまでみてきたように、グルメ漫画界は、70年代、80年代、90年代とだいたい10年ごとに新しいカテゴリーを開発してきた。各カテゴリーが廃れることなく、そのなかで続々と新作が生まれているのがグルメ漫画の特徴だ。そのため作品の数は膨大になる。それでは、21世紀にも新しく生まれた新機軸があったのだろうか。もうさすがにネタ切れのようにも思えるが、あったのである。しかも、これまでの作品数を大幅に上回る最大派閥。それは「自炊」だ。
料理人ではない一般人が自分で家庭料理をつくり、食べるという「自炊」の漫画は、この時はじまったわけではなく、1985年からずっと、偉大なる先駆者が君臨していた。今もモーニング誌上で連載されている「クッキングパパ」(うえやまとち)である。たぶんグルメ漫画の最長寿作品だろう。30年以上のあいだに出た単行本は142巻。アニメ化、実写ドラマ化、数々の関連レシピ本。まさにグルメ漫画界の巨人である。毎週必ず、使えるレシピがつくのが特長だ。九州・沖縄地域の郷土食のことはほとんどこの作品で知ったという人も多いのではないだろうか。
自炊漫画は、長らく「クッキングパパ」がありそれ以外はほぼない、という潜伏期が続いたが、21世紀になって気づいたら大増殖していた。2007年の「きのう何食べた?」「おうちでごはん」、2009年の「高杉さん家のおべんとう」あたりが起爆剤だったかもしれない。失われた20年、就職氷河期などの世相を反映し、外食グルメよりも自炊のほうがカッコいいかも! と感じはじめた読者の気分をとらえたのだろう。2011年ごろには各漫画誌に必ず一作品というぐらいの連載がはじまっている。
出てくる料理は家庭料理だから種類は限られてくるし、舞台は「家」とその周辺だから人間関係も似かよってくる。それでも、新婚、同級生、男やもめ同士の同居、女子ひとり暮らし、血縁のない姪との二人暮らし、ゲイのカップル、シェアハウス仲間、田舎一人暮らし、単独山ガールと、ありとあらゆる人物設定と人間関係が工夫され投入された。その必然として、たがいに好意を持っているけど言い出せないふたり・・・というような人間ドラマが復活した。料理の種類も、国内外の郷土料理を取り入れたり、材料費100円前後の極貧料理に絞ったり、はては味噌汁だけとか燻製だけとか。差別化がむずかしいカテゴリーのなかで、各作品は最大限に個性を競っている。
この「自炊」カテゴリーの一角を、2015年ごろ、とりわけアルコール度数の高い作品グループが占めるようになったことに、漫画通の皆さんならお気づきだろう。「クッキングパパ」でもよく酒は飲まれるし、「酒のほそ道」の宗達もときどき自宅で一人飲みをするが、それはあくまで話のバリエーションのひとつだ。これに対し、ここ数年のあいだに目立ってきたのは、あきらかに「家で」「飲む」ことをメインにすえた(あるいは純粋にそれだけの)作品なのだ。
ついに、ここに至って新しいカテゴリー「家飲み漫画」が産声をあげた。「宅飲み残念乙女ズ」「たくのみ。」「お酒は夫婦になってから」「はらペコとスパイス たまこキッチンへようこそ」「うわばみ彼女」・・・家飲み漫画は次々と連載を開始し、続々とアニメ化もされている。ひとの目を気にせず、ゆっくりとリーズナブルに家で飲みたい! そうした社会のニーズをがっちりと受け止めて、家飲み漫画はいま、グルメ漫画のなかで一大勢力になろうとしているのである。次週は、その家飲み漫画のなかかから、いくつかのオススメ作品を紹介したい。
自炊漫画や家飲み漫画は非常に数が多いだけに、傑作もあるけれど、全体としては粗製乱造気味であり、ちょっと読むのがしんどい作品にもあたってしまうのが事実。来週の〈後編〉では、数多い「家飲み漫画」のなかで、家飲みスタイル編集部の独断により、すぐれていると考える作品を選び、「家飲み漫画ミシュラン」として発表します。
家飲み文化部③読んでから飲む! 家飲み漫画ミシュラン〈後編〉珠玉の15作品はこちら
※記事の情報は2017年10月6日時点のものです。
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