ジンのルーツと言われる蒸留酒「ジュネヴァ」の産地を探訪
ジュネヴァは穀類とジュニパー・ベリーなどのボタニカルでつくる蒸留酒。ジンのルーツとされ、一次は世界中で飲まれました。その一大生産地として栄えたオランダのスキーダムを訪ねジュネヴァの成り立ちを探ってみます。
ブランデーからモルトワイン、そしてジュネヴァへ
蒸留酒メーカーはより安価な原料を求めて、ビールを経ずに穀物から直接つくり始めます。これはモルトワインと呼ばれ、ブランデーに比べると荒々しく癖が強かったからでしょう、次第に飲みやすさを求めボタニカルを加えるようになります。アニスシードやキャラウェイといった輸入品のボタニカルは高価でしたが、ジュニパー・ベリーは古くから薬効があるとされ、この地域でも比較的容易に入手できました。香味も良好だったため盛んに利用され、すぐにオランダにも広がりました。
ジュネヴァはジュニパー・ベリーの香る酒となり、現在ではジンのルーツと言われるようになりました。
オランダ東インド会社とともに世界へ
ジュネヴァはこの貿易ネットワークに乗って世界中に広がっていきました。また、オランダ独立戦争でオランダに加勢した英国では、兵士たちがジュネヴァを持ち帰り大きな市場が形成されました。
アメリカのカクテルブームを牽引
しかし、1920年にアメリカで禁酒法が施行されて輸出がストップ、その後、第二次世界大戦などの影響でジュネヴァは海外の市場を失います。ジュネヴァは次第にオランダ周辺だけで飲まれるローカルスピリッツに戻っていきました。
風車がジュネヴァを伝える街スキーダム
また、原料の穀物を挽くための風車(ウインド・ミル)が往時には30基もあり粉挽業が発達しました。粉挽きの効率を上げるため風車はどんどん大型化し、スキーダムに現存する八基の風車で最大のものは高さ33mと世界最大、多くの観光客が訪れています。
ニシン漁と織物業の街だったスキーダムはジュネヴァの街に変わったのでしたが、その後急速に廃れていきます。1820年頃から連続式蒸留器の実用化が進み、安価なアルコールが大量に供給されるようになると、小さな単式蒸留器しか持たない蒸留所は一気に淘汰され、1920年には14ヶ所を残すのみとなりました。
それでも人気のクラフトジン「ボビーズ(BOBBY'S)」を製造するハーマン・ヤンセン社や、日本でもお馴染みのリキュール「ピーチツリー」のデ・カイパー社など、現在も8つの蒸留所が稼働しています(スキーダム観光局公式サイトより)。
博物館でつくられるジュネヴァの原料は大麦とライ麦です。大麦を発芽させてモルトにし、ライ麦とともに破砕して湯を加えて糖化します。ビールやウイスキーはここで濾過して麦汁を採りますが、ジュネヴァはドロドロの状態のまま発酵に進みます。
3日くらいでアルコール度数7%の醪ができ、これを単式蒸留器で3回蒸留し、最終的にアルコール度数60%ほどのモルトワインができあがります。ジュニパー・ベリーの香味付けは、モルトワインの一部に他のボタニカルと浸漬してジンスチルで蒸留しジュニパー・ベリー・スピリッツを得て、これをモルトワインにブレンドします。ジュネヴァにはそのまま貯蔵して製品化するものと、樽で熟成させるものがあります。
博物館の試飲カウンターではいろいろなジュネヴァを飲み比べることができます。ジンのルーツと言われますが、どれも顔を近づけたとたんにジュニパー・ベリーが香ってくるようなことはなく、口に含んでから穀物原料のどっしりとしたスピリッツの味わいのなかにジュニパー・ベリーを感じます。
なお、ジュネヴァの呼称はEUで原産地呼称を保護されており、オランダ、ベルギー、ドイツとフランスの一部でつくられたものしか使えません。
※記事の情報は2023年3月2日時点のものです。
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