「蛍の光」はみんなで集まって騒ぐときに歌う、家飲みの歌だった!
2017年も残りあとわずか。ところで日本で年越しカウントダウンの前に歌われる「蛍の光」ですが、この歌の発祥の地である英国では歌われかたが微妙に違うみたいです!
もうすぐ新年というとき「蛍の光」。英国人は驚く
ところで、日本在住の英国人が「紅白歌合戦」を観ると、たいていこの「蛍の光」のところで「エッ?」と怪訝そうな顔をします。どうしたのかときくと、「歌う時刻と、シーンが微妙にヘン」と思うらしいのです。
原曲の歌詞と歌われかたをちょっと調べてみると、その違和感の正体がわかります。そしてさらなる発見が。どうやらこの曲は、「イエノミスタイル」のテーマである「家飲み」の歌であるようなのです。
日本の歌詞とスコットランドの歌詞はだいぶ違う
まずは、日本語の「蛍の光」の歌詞をみてみましょう。作詞されたのは明治10年代、作詞家は歌人の稲垣千穎(ちえい)であるとも、作者不詳だともいわれます。
蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
明けてぞけさは わかれゆく
つまり、一緒にがんばって勉強した私たちもそろそろお別れだよね! という、卒業や別れをテーマにした歌詞です。ちなみに、今ではあまり歌われない3番と4番は、みんな旅立ったら千島から沖縄まで日本をしっかり守ろうぜ! という内容で、思いきり戦前っぽい感じの歌詞であり、海軍兵学校の卒業式でも使われたそうです。国威発揚の目的もあって、そういう歌詞になったのでしょう*
ところがスコットランドの原曲の大意は、こんな感じです。
昔の友は忘れられていくものだろうか
友はあの昔日のように心から消え去るのだろうか
友よ、あの古き昔のために
友情の盃をくみ交わそうではないか
要するに、久しぶりに友だち同士再会したんだから昔を思い出して一杯飲もうぜ! という歌なのです。この歌はスコットランドの第二国歌というぐらい親しまれ、いろいろなシーンで歌われます。で、大晦日の場合はいつ歌われるかというと、「ホグマネイ」と呼ばれる盛大なストリート・パーティーで騒いだり、知人の家に集まったりして、ウイスキーを飲んで、カウントダウンがあって、新年を迎えた瞬間に街に花火が上がって、その花火が落ち着いたころ。つまり0時10分過ぎぐらいなのです。これはスコットランドだけでなくイングランドでも同じ習慣があり、その様子は動画サイトでもいろいろ見ることができます(例えばこれ)。
そういう歌なのに、あと15分で新年というところで、しかも今年もいろいろあったねさようなら、という感じで歌がはじまるので、ヘンなのです。日本人に置き換えるとイギリスにいったら大晦日に雅楽「越天楽」が鳴ってるぐらい微妙な感じです。デパートの閉店とか船の出航でも使われているのも含めてイギリス人が「違うんだよな〜」と思ってしまうのはわかります。
*「蛍の光」が日本で別れの歌として定着した背景には、アメリカ映画「哀愁」(1940)のなかで、Auld Lang Syne のアレンジ版が「別れのワルツ」(日本のお店の閉店BGMはたいていこれ)として使われ、それをザ・ピーナッツが歌詞付きで歌ったことなども、要因のひとつにあるようです。
Auld Lang Syne はまさに、歌いつがれる「家飲みの歌」
原曲の歌詞を現在の内容にまとめたのは、スコットランドの国民的詩人であるロバート・バーンズ(1759 – 1796)。スコットランド人の魂ともいえる酒、ウイスキーを生涯愛した詩人です。その誕生日である1月25日には、現在でもスコットランドのみならず世界中で、バーンズの詩を暗唱し、ウイスキーを飲みスコットランドの代表的な料理ハギスを食べる「バーンズ・ナイト」が開催されます。
大晦日やお正月には、親戚や旧友が集まって昔日を語りあうというのは日本も同じです。この休日は、スコットランドの「家飲みの歌」Auld Lang Syne の歌詞にも思いを馳せながら(カウントダウンの前と後の2回歌うのもアリです!)、懐かしい人々と一緒に、杯をかたむけて大いに語り合いましょう。
2017年はイエノミスタイルのご愛読ありがとうございました。2018年もどうかよろしくお願いいたします!
記事の情報は2017年12月31日時点のものです。
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