杉浦日向子『ごくらくちんみ』の再現レシピ《肴は本を飛び出して㉗》
今夜は、珍味と一緒にとびきりの家飲みを楽しむのはいかが? 江戸風俗研究家・杉浦日向子先生の著作『ごくらくちんみ』より、酒欲を誘う珍味が登場。珍味とお酒の織りなす至極の味わいはもちろん、杉浦先生の紡ぐ言葉の艶っぽさにもうっとりすること間違いなし! 家飲み大好きな筆者が、「物語に出てきた食べ物をおつまみにして、お酒を飲みたい!」という夢を叶える連載です。
酒飲みを極楽へといざなう“ちんみ”と、それにまつわる男女の物語。
◾こんな本です
「江戸の達人」として知られた杉浦日向子先生が、江戸ではなく現代の珍味と酒と人間模様を描いた掌編小説集。くさや、ちょろぎ、にがうるか、ゆべし、うみたけ、またたび(!)などなど68種類もの珍味が登場し、思いっきり酒欲を誘います。お取り寄せ文化が盛んな今でこそ、居ながらにして各地の珍味を味わうことが日常的になりましたが、それよりずっと前に(初版発行は2004年)これだけの珍味を知り、味わい、記したということがまず凄い。
一編が2〜3ページと短い読み切りになっていて、さらりと読みやすいのに味わい深く、さりげなく登場する珍味の描写がとても艶めかしくリアルなんです。
例えば、別れた後も泊まり泊まられする仲の元恋人同士が登場する「青ムロくさや」の章では……。
飴色の木屑のような一片を、指でつまんで口へほうりこむ。複雑な旨味が、舌の付け根と上顎から鼻腔、喉をやんわり圧しひろげつつ、暖かい風のやさしさでわたっていく。強烈な臭気とはうらはらに、まことに品の良い、繊細な味覚である。
(中略)
ゆっくり噛んで、焼酎をなめるように、ちびりと含む。出過ぎずほど好く、申し分のない伴侶だ。杉浦日向子 /『ごくらくちんみ』<青ムロくさや>(新潮文庫)より
ちなみにこちらは、46歳の若さでこの世を去った杉浦先生の最後の小説集。ご存命なら、お歳を重ねるごとにさらなる傑作を生み出し続けたことが間違いないだけに、早逝が惜しまれてなりません。佳人薄命という言葉がふさわしい方だと思います。
◾ここを再現
68種類の珍味からどれをピックアップしようか、例によって大いに迷いました。その結果、わりとポピュラーな組み合わせと、珍妙な組み合わせとの2パターンに決定。
■お品書き
- たたみいわしと純米酒(冷酒)
- うずらのぴーたんとウニクム(お湯割)
【ごくらくちんみ再現レシピ①】たたみいわしと純米酒(冷酒)
レースのように透き通り、黒い目玉と、かそけき背骨が板の中に、ひっそりと無数に浮かぶ。ばらばらの方を向き、でも、右往左往ではなく、静謐な諦観さえ感じられる。
「やだな。なんかまいっちゃうよ」
静岡の純米冷酒の封をきり、手拭きの極薄グラスで呑みながら、あぶった。
遠火でじんわり。はあっと、ほろ酔いの溜め息にも似た、甘く華やいだ香気が立ちのぼる。同窓会のざわめきが遠くに聞こえる、たたみいわしは、来し方をあぶりだす。はらりと金粉をまぶしたほどの焼き目にして、醤油なしで、さっくり歯をあてる。
赤ちゃんのくせに、いっぱしの鰯のDHAの脂がふくらんでいく。海水の塩気が、大海原を呼び戻す。いのちのみなもと。杉浦日向子 /『ごくらくちんみ』<たたみいわし>(新潮文庫)より
友人のタマヨにそう聞かれたケイコは「うに、かなあ」と答えます。タマヨの答えは「たたみいわし」。
「へんー。おやじみたい」と言いながらも、ケイコは帰りのスーパーでたたみいわしを買い、炙ってさくさく齧りながらタマヨのことを考えるのでした。昼間、相手の名は明かさず「妊娠している」と告げたタマヨのことを……。
■食べてみました
「はらりと金粉をまぶしたほどの焼き目にして」という美しい描写にグッと来てスーパーを何軒か回りましたが、たたみいわしは見つけられず。市場の塩干物専門店でやっと入手できました。関東だと、そこらのスーパーでも普通に並んでいるのかしら。だとしたら羨ましいな。
熱した焼き網にのせると、はしっこからちりちりと焼き目がつき香ばしさが漂います。うー、この香りだけで飲めそう。軽く歯を当てるだけでさくりと割れ、ほろりほろりと口の中で儚くほどけていくのに磯の香りが驚くほど濃厚。たたみいわしってこんなにおいしかったっけ? と驚いてしまいました。
よーく冷やした純米酒をクイッとやって海の香りを流し、そしてもうひと齧り。こりゃエンドレスでループできてしまいそうです。今度は卓上に電気コンロを置いて、たたみいわしと海苔を交互に炙りながら飲んでみよう。幸せな課題がひとつ増えました。
【ごくらくちんみ再現レシピ②】うずらのぴーたんとウニクム(お湯割)
ウニクムという、濃褐色のとろりとした甘い東欧の薬用酒に、ライムを搾り湯で割る。取っ手付きロンググラス。ジノリの白磁に、これまた濃褐色の小粒が、コロリコロリ。
「うずらのぴーたん」
「へえ。珍しいね」
(中略)
小皿へ、チューブのおろし生姜を少々、そこに黒蜜をたらす。
「これつけるとおいしいよ」
杉浦日向子 /『ごくらくちんみ』<うずらのぴーたん>(新潮文庫)より
黒くて甘いたれにつけて、うずらのぴーたんを噛みしだき、黒くて甘いハーブ臭い、くせのある暖かなウニクムを流し込む。プリプリとした琥珀の輝きの白身の中から、濃厚な暗緑色の黄身が、曇った夜空のようにとろけ出す。甘くない。反省を強いられるような、味。杉浦日向子 /『ごくらくちんみ』<うずらのぴーたん>(新潮文庫)より
■食べてみました
うずらのピータン(杉浦先生の「ぴーたん」というひらがな表記、かわいいですよね)は好きで時々買っていたのですが、生姜と黒蜜で食べるのは未知の体験。これが、とってもよかったんですよ〜。とろりと甘い黒蜜を生姜がぴりっと引き締めて、ピータンの野趣あふれる風味をほどよく調和してくれます。
そして「ウニクム」もこの本で初めて知りました。これはハンガリーで200年以上前から作られている薬用酒で、約40種類ものハーブが使われているんですって。お酒のサイトなどでは「日本でいうところの養命酒」という説明が多く見られました。ストレートで飲んでみると、おお、たしかに「良薬口に苦し」な味。でも嫌いじゃないです、この本気のビターさ。
ライムを買い忘れたためただのお湯割にしたのですが、湯気と共にハーバルな香りが立ち上がって冬の夜にぴったりの一杯でした。そして、このクセもの同士が合うこと合うこと。ピータンの黄身のコクと、ウニクムの苦味の強さが同調する感じで実にしっくりときます。
よくこんな組み合わせを思いつかれるなぁと、改めて杉浦先生の慧眼とセンスに恐れ入った次第です。
***
たった2パターンを再現しただけでもかなり幸福度の高い晩酌ができました。あと66種類も試せるのか……。大金持ちになって全制覇したい。巻末には簡単なお取り寄せ情報も載っていて、家飲み派にとって至れり尽くせりの一冊。珍味バイブルとしてぜひお手元にお迎えされてはいかがでしょうか。
※記事の情報は2022年1月4日時点のものです。
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