どぶろく最前線① どぶろく農家のレジェンド「どぶろく卓」
おいしいどぶろくを飲んだことがあるだろうか? 全国各地にどぶろくは多々あれど、心からおいしいと思えるものはごく一部だ。今回は特区どぶろくの最高峰、「どぶろく卓」をつくる中川卓夫さんを訪ねた。
約100年ぶりのどぶろく解禁
日本のどぶろくも例外ではなく、土地ごと、家ごとの味があった。しかし、日本政府は1899年に自家醸造を禁止し、どぶろくづくりをご法度にした。酒は酒屋から買わざるを得ないようにして、酒税増収を増やした。日本のどぶろくは表舞台から消え、勝手につくれば摘発され、多くの逮捕者を出した。
どぶろく特区での酒造免許は「その他醸造酒」(濁酒に限る)の製造を認めるもので、本免許の年間6キロリットルの最低製造数量の要件が適用されない。ただし、別の条件が2つ付く。ひとつは農家レストランや農家民宿を営業すること、もうひとつは原料の米は自ら栽培しなければならないことで、もちろん発酵後に濾すことはできない。
レジェンド「どぶろく卓」誕生
特区制度ができると行政は、昔どぶろくづくりが盛んだったこの地域を、どぶろくの里として盛り上げようと動き説明会を開催した。初回には40~50名の農家が集まったが、話が具体的になるにつれて参加者は減り、最後は中川さんを含め数名になった。
農家のどぶろく参入を阻んだのは酒税関係の煩雑な事務作業などいくつかあったが、最も大きかったのは民宿かレストランの営業が義務づけられることだった。中川さんも迷いに迷った末に、家族の協力を得て民宿をはじめ、2005年にどぶろく製造をスタートした。
「どぶろく卓」の米は棚田のコシヒカリ
浮上するどぶろく農家の事業承継
そしてコロナ禍ではどぶろく農家に大きなダメージがあった。飲食店や宿泊施設での酒類の提供が制限されたうえ、観光が止まったことでお土産需要も激減、物産展などのイベントは軒並み中止となり、どぶろくの売上は半減した。中川さんも料飲店からはまったく注文がなく、常連の個人客からの注文が入るだけだという。これから廃業するどぶろく農家が増えるのは避けられそうもない。
中川さんはどぶろく事業の承継を考えているが、そのためには解決しなければならない課題が2つある。ひとつは後継者への製造免許の引き継ぎ、もうひとつは民宿の廃業だ。民宿営業は家族の負担が大きく、これ以上続けるのが難しくなっている。民宿を止めてどぶろく製造を続けるには、本免許に切り替えなければならない。
どぶろく特区が誕生して20年の歳月が流れた。これから事業承継問題に直面するどぶろく農家が増えるのは間違いない。後から広がったワインやリキュールの特区もいずれ同じ課題を抱える。どぶろく特区での事業承継はその先行事例となるだろう。
どぶろく農家の本業は「農業」
中川さんは農産物の加工にも取り組んでいる。水産加工の専門家と一緒にどぶろくを使った鮭や鰊など魚介の漬物を開発、おいしいと評判だ。農作物をそのまま販売するだけでなく、どぶろくや漬物などに自ら加工し付加価値を高める農業経営。「どぶろく卓」は、米づくりを基盤とする農業の一部として、これからも輝き続ける。
どぶろく荘のこと - どぶろく荘
※記事の情報は2022年9月1日時点のものです。
『さけ通信』は「元気に飲む! 愉快に遊ぶ酒マガジン」です。お酒が大好きなあなたに、酒のレパートリーを広げる遊び方、ホームパーティを盛りあげるひと工夫、出かけたくなる酒スポット、体にやさしいお酒との付き合い方などをお伝えしていきます。発行するのは酒文化研究所(1991年創業)。ハッピーなお酒のあり方を発信し続ける、独立の民間の酒専門の研究所です。
- 1現在のページ