どぶろく最前線① どぶろく農家のレジェンド「どぶろく卓」

おいしいどぶろくを飲んだことがあるだろうか? 全国各地にどぶろくは多々あれど、心からおいしいと思えるものはごく一部だ。今回は特区どぶろくの最高峰、「どぶろく卓」をつくる中川卓夫さんを訪ねた。

メインビジュアル:どぶろく最前線① どぶろく農家のレジェンド「どぶろく卓」

約100年ぶりのどぶろく解禁

アジアの稲作地帯には広く米と麹を利用した醸造酒がある。日本の清酒、中国の紹興酒(黄酒)、朝鮮半島のマッコリはこの一種で、現在は産業化し商品は遠方でも飲まれている。一方に家庭でつくる米と麹の素朴な醸造酒がある。米や麹の種類、製法、飲み方は土地により、自由につくるから味もさまざまだ。

日本のどぶろくも例外ではなく、土地ごと、家ごとの味があった。しかし、日本政府は1899年に自家醸造を禁止し、どぶろくづくりをご法度にした。酒は酒屋から買わざるを得ないようにして、酒税増収を増やした。日本のどぶろくは表舞台から消え、勝手につくれば摘発され、多くの逮捕者を出した。
インド北部の稲作地帯でも飲まれているのは「どぶろく」
インド北部の稲作地帯でも飲まれているのは「どぶろく」
韓国の済州島のマッコリ。韓国ではすでに自家醸造が解禁されている
韓国の済州島のマッコリ。韓国ではすでに自家醸造が解禁されている
それが公に楽しめるようになったのは2002年のどぶろく特区制度の誕生からだ。構造改革特別区域法による酒税法の特例措置(どぶろくやワインなどの製造免許の特区)に認定された地域は273にのぼる(2021年7月現在)。このうち、どぶろく特区は約180を数え最多である。

どぶろく特区での酒造免許は「その他醸造酒」(濁酒に限る)の製造を認めるもので、本免許の年間6キロリットルの最低製造数量の要件が適用されない。ただし、別の条件が2つ付く。ひとつは農家レストランや農家民宿を営業すること、もうひとつは原料の米は自ら栽培しなければならないことで、もちろん発酵後に濾すことはできない。

レジェンド「どぶろく卓」誕生

多くのどぶろく農家が誕生したが、味わいで抜きんでるのが「どぶろく卓」だ。「どぶろく卓」はコンテストで上位入賞を重ねていたが、一躍その名を轟かせたのは、「TOKYOどぶろくフェスタ2010」での大賞受賞であろう。これは酒文化研究所が主催したコンテストで、全国のどぶろく農家から75点の出品があった。東京で開催される初めてのどぶろくコンテストということもあって、出品した農家だけでなく広く注目を集めたのである。
TOKYOどぶろくフェスタ2010で大賞を受賞した「どぶろく卓」
TOKYOどぶろくフェスタ2010で大賞を受賞した「どぶろく卓」
「どぶろく卓」をつくる農家民宿どぶろく荘は豪雪地帯の新潟県上越市の山間部、旧牧村の坪山地区にある。市街地からは車で30分ほど、山を登る途中、道の谷側には棚田が広がり、畑には蕎麦が植えられていた。冬の間は雪に閉ざされるこの地は、かつて男は出稼ぎに出て一人前という雰囲気で、ご主人の中川卓夫さんも若い頃に酒蔵で蔵人として働いた。

特区制度ができると行政は、昔どぶろくづくりが盛んだったこの地域を、どぶろくの里として盛り上げようと動き説明会を開催した。初回には40~50名の農家が集まったが、話が具体的になるにつれて参加者は減り、最後は中川さんを含め数名になった。

農家のどぶろく参入を阻んだのは酒税関係の煩雑な事務作業などいくつかあったが、最も大きかったのは民宿かレストランの営業が義務づけられることだった。中川さんも迷いに迷った末に、家族の協力を得て民宿をはじめ、2005年にどぶろく製造をスタートした。
「どぶろく卓」の周囲は棚田と段々畑が広がる
「どぶろく卓」の周囲は棚田と段々畑が広がる

「どぶろく卓」の米は棚田のコシヒカリ

この頃、新潟県はどぶろく製造技術の向上を目的に新潟どぶろく研究会を発足させる。東京でメディア向けのお披露目の試飲会を開催すると、「どぶろく卓」は高く評価され、専門家から「おいしい、ほかのどぶろくとはまったく違う」「これなら商品として売れる」という声があがった。他のどぶろく農家もその味わいに驚嘆し、そこから研究会のメンバーたちは意欲的に品質向上に取り組むようになる。その結果、新潟県醸造試験場の技術者のサポートもあって、新潟のどぶろくは一気に品質の底上げが進んだ。
「どぶろく卓」は瓶詰とラミネートパック詰め。自社を報じた新聞記事の包装紙にくるんだものも
「どぶろく卓」は瓶詰とラミネートパック詰め。自社を報じた新聞記事の包装紙にくるんだものも
中川さんのどぶろくは棚田でつくるコシヒカリを使う。酒造好適米を試したこともあったが、どぶろくには飯米のコシヒカリの方が合っているようだと言う。精米は食用米と同じ一割ほどしかかない。麹は乾燥麹、酵母はきょうかい酵母乾燥701号で、酛は立てず一回で仕込む。一度に仕込むどぶろくは100リットル。蒸し器が小さいため数回に分けて30キログラムの米を蒸す。最初から最後まで中川さんが一人で管理する。
醸造所はレストランの厨房という感じ。醪は冷蔵庫で管理する
醸造所はレストランの厨房という感じ。醪は冷蔵庫で管理する

浮上するどぶろく農家の事業承継

今年、中川さんは81歳になった。定年退職してどぶろくを始めてから16年、同じ頃に始めたどぶろく農家第一期生たちには、どぶろくの製造を止めたり、銘柄を他に引き継いでもらったりした方がいる。

そしてコロナ禍ではどぶろく農家に大きなダメージがあった。飲食店や宿泊施設での酒類の提供が制限されたうえ、観光が止まったことでお土産需要も激減、物産展などのイベントは軒並み中止となり、どぶろくの売上は半減した。中川さんも料飲店からはまったく注文がなく、常連の個人客からの注文が入るだけだという。これから廃業するどぶろく農家が増えるのは避けられそうもない。

中川さんはどぶろく事業の承継を考えているが、そのためには解決しなければならない課題が2つある。ひとつは後継者への製造免許の引き継ぎ、もうひとつは民宿の廃業だ。民宿営業は家族の負担が大きく、これ以上続けるのが難しくなっている。民宿を止めてどぶろく製造を続けるには、本免許に切り替えなければならない。

どぶろく特区が誕生して20年の歳月が流れた。これから事業承継問題に直面するどぶろく農家が増えるのは間違いない。後から広がったワインやリキュールの特区もいずれ同じ課題を抱える。どぶろく特区での事業承継はその先行事例となるだろう。
中川卓夫さんと息子の景一さん(左)
中川卓夫さんは息子の景一さん(左)にどぶろくづくり託したいと言う

どぶろく農家の本業は「農業」

中川さんは農家どぶろくの第一人者となったが、本業はあくまでも農業だ。ご子息の景一さんと二人で13丁歩の棚田で米をつくり、ほぼ同じ広さの段々畑に蕎麦を栽培する。米はすべて特別栽培米。肥料は有機で農薬の使用は一度、ほかには集落全体でおこなうカメムシの消毒をするだけだ。千俵(60トン)以上の米を裁く専用の作業場を構える。
手塩にかけた自慢の米
手塩にかけた自慢の米を語り始めると言葉に力がこもる
13丁歩もの自社圃場でとれた米を自社で精米
13丁歩もの自社圃場でとれた米を自社で精米
さらに中川さんは地元の坪山地区の農業の将来を見据えて、2015年に農事組合法人坪山の里の設立を主導し、23軒の農家の13丁歩の農地をまとめた。生まれ育った坪山の農地を荒らしたくないという強い思いがあったと言う。法人の設立後に高齢のため離農する方が相次ぎ現在の構成員は13軒、けれども他のメンバーが耕作を引き受けて、放棄地はまったく出していない。

中川さんは農産物の加工にも取り組んでいる。水産加工の専門家と一緒にどぶろくを使った鮭や鰊など魚介の漬物を開発、おいしいと評判だ。農作物をそのまま販売するだけでなく、どぶろくや漬物などに自ら加工し付加価値を高める農業経営。「どぶろく卓」は、米づくりを基盤とする農業の一部として、これからも輝き続ける。
天日干しした米
天日干しした米は特に美味しいと評判。付加価値も付く
どぶろくを利用した魚介の漬物を開発した
どぶろくを利用した魚介の漬物を開発した
「どぶろく卓」はこちらから購入できます。
どぶろく荘のこと - どぶろく荘

※記事の情報は2022年9月1日時点のものです。
 

  

『さけ通信』は「元気に飲む! 愉快に遊ぶ酒マガジン」です。お酒が大好きなあなたに、酒のレパートリーを広げる遊び方、ホームパーティを盛りあげるひと工夫、出かけたくなる酒スポット、体にやさしいお酒との付き合い方などをお伝えしていきます。発行するのは酒文化研究所(1991年創業)。ハッピーなお酒のあり方を発信し続ける、独立の民間の酒専門の研究所です。

さけ通信ロゴ
  • 1現在のページ