龍力テロワール館が問う兵庫の山田錦【姫路市・本田商店】
近頃、日本酒でも”テロワール”という言葉を耳にするようになりました。元々はワイン用語でブドウが育った環境の違いがワインに現れることを指しますが、日本酒も米の栽培地で味が変わるというのです。酒米と栽培地の研究に注力し、約25年前から清酒のテロワールを意識してきた「龍力(たつりき)」醸造元である本田商店の軌跡を振り返ります。
そして、同社の会長であった故 本田武義氏は20年におよぶ研究で、最上の山田錦を産する特A地区内の複数の地域の土壌を整理し、そこから生まれる米と酒の味わいの特徴を明らかにしました。
2020年11月、この成果の発信拠点として本田商店は同社1階に「龍力テロワール館」を開設。その狙いと経緯をたどっていきましょう。
銘醸蔵・本田商店は酒問屋から始まった
山陽本線の網干駅の傍という立地を生かして酒類卸に事業を拡張、その後に酒造業を始めました。酒類消費が年々増えていた高度経済成長期には、キリンビールの特約店であった卸業が好調で酒造業は最大3000石を製造しましたが、自社ブランドでの販売はわずか。大半は灘の大規模メーカーへの桶売りでした。
1979年『大吟醸 龍力 米のささやき』が誕生
1976年には年末年始の2週間限定で、日本で初めて搾りたての原酒生酒を発売。当時としては破格の2,500円(1.8L)でしたが、地元で評判になりました。
続いて1979年に後の看板商品となる『大吟醸 龍力 米のささやき』を発売します。当初は「大吟醸」が理解されず受け容れられるまでに時間を要しましたが、なぜ大吟醸が高価なのかを説明する根拠を熟考する機会となりました。
このとき着目したのは、原料の”米”です。飯米での酒づくりが一般的だった時代に、高価な酒造好適米を高精白していることは、高価であることの根拠として納得してもらいやすかったのです。そして米に着目したことが、蔵の基本理念となる「米の酒は米の味」に繋がっていきます。
今でこそ上級品では当たり前のことですが、それまでは大吟醸でも麹米だけに酒造好適米を使うことが多かったのです。酒づくりのテキストには酒造好適米の麹米としての適性が細かく記載されていたのに対して、醪としては溶けやすいくらいしか書かれていなかったことからも、当時の酒造好適米の位置付けがうかがわれます。
秋津地区の特農家と山田錦の契約栽培を開始
当時のことを本田龍祐社長は、「その2~3年前と技術的に差があったとは思いません。良質な山田錦を使ったことで、足りなかったもう一押しになったのではないでしょうか。その後は金賞の常連に数えられるようになりました」と話します。
実際にブラインドで唎酒してみても、良質な山田錦でつくった酒のほうが明らかにおいしいことに気付きます。
本田社長は続けて、「秋津で契約栽培を始めてから、杜氏が持ってくる出品酒の候補を唎いてみると、明確に秋津の米でつくった酒がいいのです。これはいいと思った酒はどれも良質な山田錦でつくったものでした。亡くなった三代目の武義会長が取り組んだ研究テーマはこれなのです。理屈はわからないけれど良質な山田錦でつくった酒はおいしい。いったい山田錦の何が違うのかと」と話しました。
気候は同じでも土壌が違う
このときに京都大学の土壌の専門家から、「『昔から酒米買うなら土地を見て買え』と言われているなら、違いは土の中、土壌にあるのではないか」との助言を受けます。それから約20年間、武義前会長は京都大学に通い、特A地区の土壌分析をコツコツと進めることになりました。
『社』は山田錦という品種本来の甘みがあり苦み渋味が少ないという特徴が出やすい、『東条』は粘土質で保肥力が高くバランスのよい酒に仕上がる、『吉川』は保肥力が高いうえにマグネシウムやカリウムの含有量が多く濃厚な味わいの酒になるなどです。
違いをたしかめていただけるように、同じスペックでその地区の米だけでつくった純米酒のセットをつくりました。どうぞ試してみてください」と本田社長。
本田社長は、「飲み比べると、どれが優れているとかではなくなるところもおもしろいでしょう。どれもおいしくて、それぞれの個性がある。土の研究をしたからと言っておいしい酒ができるわけではありませんけれど、土地の個性を知ることによって、偉大な酒に近付けるのではないかと思います」と続けます。
そして、これまで山田錦の特徴として一番に素直で酒をつくりやすいことがあげられてきたことについては、これまではそこまでの話しかしていなかったからであって、良質な米ができる根拠を示して、米の質と酒質を結び付けて話す方向に向かい始めていると感じているようでした。
最高の山田錦をつくるために導き出した答えは?
そのときに「ロマネ・コンティ」とは何ぞやと議論し、現地を訪問した武義前会長らはロマネ・コンティの畑にたくさんの人がいることに驚き、農業に力を注ぐ丁寧なブドウづくりこそがその名声の基だと結論づけます。
そして日本でも彼らに負けないくらい丁寧に米をつくってくれる農家がいれば、ロマネ・コンティのようになれるのではないかと、篤農家と密接に連携した山田錦づくりに取り組み始めます。これが前述の秋津地区の農家との契約栽培です。
どうしたら最高の山田錦をつくれるか、特A地区で一番のつくり手と言われる方を何度も訪ね議論を重ねた末に最善の米づくり方法として導き出したのが、「への字型栽培」「有機肥料」「稲木架け自然乾燥」「低農薬」という栽培ルールでした。
その後は特A地区のなかで、この条件での山田錦づくりに参画する農家を募りながら、本田商店の契約栽培は広がっていきました。
清酒のテロワールが共有されるために
事実の裏付けのあるたいへん意義のある研究成果と考えますが、一般論として酒から米の違いを見分けることは容易ではありません。専門家でも予備情報なしでは原料の米の種類まではわからないでしょう。また、伏見、新潟、秋田、広島などの産地ごとに共通した味わいがあるかと言えば、そこまで明確な特徴はなさそうです。
ワインに比して清酒は技術が酒の味わいを左右するウエイトが大きく、原料の個性は出にくい酒と言われます。こうした違いがあるなかで、清酒の酒蔵はロマネ・コンティのようになりうるのでしょうか。
「米の味が基本で一番重要だと思っています。『米の味が酒の味』という基本理念のとおり、米の味を生かすために技術を磨く。うちは特殊かもしれませんが、“おいしい”を超えた“おいしさ”は絶対にあって、そのために最高の米と最高の技術が必要だと考えています。その結果、土地の味が表れて偉大な酒になる。新しい技術が次々に生まれて、いい酒が容易にできるようになってきたのはたしかですが、米が土台であるのは揺るがない。また、産地ごとの味わいの特性はこれから再び出てくるでしょう。一度、技術レベルを上げる必要があるので均質化したかもしれませんが、これからはやはり地域性を出していかなければダメだと気付いて変わっていくと思います」
最近は酒蔵から、地元の米でその土地らしい味の酒を目指す声がよく聞かれます。けれども本田商店のような客観的な事実があるところはまだ多くはありません。なぜ地元の米や水を使うと良質な酒になるのか、米や水や酒の品質を向上させるために地元とどんな関係性を築いたのかを説明できることが、清酒がテロワールを語るための必要条件ではないでしょうか。
※記事の情報、役職は2023年12月21日時点のものです。
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